八乙女光さんが、光で照らしてくれたおはなし

本日、12月2日は八乙女光さんのお誕生日です。

そんな特別な日に何をしよう…と考えた結果、

久しぶりにここを書いてみよう、と思いつきました。

特に文才もないオタクの駄文ですが、

お付き合いいただけると嬉しいです。

 

 

 

日付は今年のはじめ、Hey!Say!JUMPの福岡公演の日に遡ります。

 

この公演は、光くんが復帰してから迎えたツアーの最終日。

 

この頃の私は

「外出して苦しくならないかな」「公共機関も苦しくなったらどうしよう」「遠方に出かけるのも不安」「人混みも大丈夫かな」「会場の雰囲気も大音量も耐えられるかな」

たくさんの不安を抱えていました。

前回の記事でつらつらと書いた

不安障害の症状です。(当時、読んでくれた方ありがとう。)

 

だけど、どうしても15周年をお祝いしたくて

いろいろ考えて、行ってみるという決断をし、主治医や家族にたくさん心配をかけながら

当日を迎えました。

 

同じJUMP担のお友達が「来れてよかったね」

と伝えてくれたのが嬉しかったのも束の間、

公演の最中、実はめちゃくちゃ苦しくてお薬を片手に過ごしていました。

 

(早めに帰ろうかなあ)(でもなあ…)などと

目の前で自担が歌って踊っているのにも関わらず、葛藤しているとフロートタイムがやってきました。

曲は『ネガティブファイター』です。

Hey! Say! JUMP - ネガティブファイター [Official Music Video] - YouTube

 

この曲は、当たり前の生活ができなくなって苦しかったときに発売され、おうちで過ごすことが多かった日々に何度も何度も聴いて励まされた大切な曲です。

 

 

そのネガティブファイターを歌ってくださっているときに、フロートが私の目の前に来てくれました。

そして、光くんがうちわを見つけてくれました。

その瞬間、光が照らしてくれたかと思った!!

光くん特有のおててパクパクってしてくれるやつでした。

 

光くんが照らしてくれたおかげで、

残りの時間はもうヘラヘラしており、

最後まで、公演を楽しむことができました。

 

と、惚気話はここまでで。

 

 

 

 

この大きな「成功体験」があったのをきっかけに、前述のライブ会場、公共機関、大音量、人混み、外出をほぼ克服することができました。

(まだまだ完璧とは言えませんが)

 

この克服するまでの道のり、決して楽とは言えないのですが(でもライブ行けたしな〜)(そのとき光くんが気付いてくれたし♡)というマインドで、なんだかんだ、ここまで来られました。

 

そして、光くんがInstagramを始めてくださり

「メンタルとの向き合い方」「見えない症状について」

発信してくださることにも、救われました。

 

 

それが、光くんが光で照らしてくれたお話です。

 

なんだか、この系のお話すると湿っぽくなっちゃうな〜〜〜。

 

結論!!!!!

光くんは一人の女を人生レベルで救っていることを誇りに思って生きていってほしいです!!

そして、33歳(ゾロ目ラッキー✨)もお身体を大切に、素敵な年となりますよう願っております。

 

𝓛𝓸𝓿𝓮 𝓕𝓸𝓻𝓮𝓿𝓮𝓻…(婚姻届に判を捺しながら)

自担の存在に支えられたよって話

こんにちは。桃 と申します。

 

いつも文章力と語彙力とギャグセンの高いジャニオタさんのブログを読ませていただく側だったのですが、今回は書く側になってみようと思います。

 

普段はTwitterの140字内での投稿ばかりなので長文は読みづらい部分もあるかと思いますが、読んでくださると嬉しいです。

(初投稿ドキドキ)

 

 

突然ですが私は、現在20歳で通信制の高校に通いながら嵐とHey! Say! JUMPを応援しています。

自担に出会ったのは今から約10年前の小学6年生の時でした。

きっかけは音楽番組だったと思います。

 

当時の私は不安定で、小学4年生の時から急に学校に行くことができなくなり、平日の昼間は家にいるばかりの生活でした。

 

長くなるので端折りますが、行きたい気持ちはあるのに身体と心が思い通りにならず、人並みの生活も出来なかった為、ずっと罪悪感と虚無感と不安に囲まれた毎日だった記憶があります。

 

(今のご時世でよく聞く"世間から取り残された気分"とか"やりたいことができない" "この先どうなるかわからなくて不安"みたいな感覚に近いような気がします)(一緒にすな)

 

 

そんな時に出会った自担の存在。

さまざまな番組で楽しませてくれる姿、

かっこよく歌って踊る姿。 

 

沼でした…底なし沼…。

 

沈みがちな気分も自担を見てる時は忘れてました。

引きこもりがちな私に外界の沢山の刺激や光を与えてくれたのは、少なくとも自担でした。

 

 

そんなこんなで(省きすぎ)

高校1年生の時、初めてライブに行けることになりました。

その頃の私は「外出」「慣れないこと」「人混み」「暗闇」「大音量」「見知らぬ土地」「公共機関」などが苦手で楽しみな反面、苦手なもののオンパレードに耐えられるかな…と不安な気持ちでした。

 

家族が付き添ってくれたとはいえ、地方から現地に行くまでもすごく気力を使うし、慣れない外泊…そしてずっと画面の向こう側だった自担を目の前にするという精神的に不安定な私にはとても無謀な挑戦だったなと今でも思います。それでも行きたかった。

正直、開演まですごく苦しかったです。

出口探してました(笑)

ですが、始まってしまえばそんなこと忘れちゃってました。ちょろいですね。

無謀な挑戦しちゃったのでその後は盛大に体調崩して また不安定になってしまい、高2の年は丸々荒れてました()

でも後悔はしてないです。

 

 

それから「一度やったから行ける」という気持ちで有難いことに毎年コンサートに入らせていただき、現在進行形で少しずつですが苦手な「外出」「人混み」「大音量」etc… 克服していっています。

現場たのし~〜~‼️‼️‼️

 

 

最終手段で入った通信制高校も2年生までほとんど行けなかったのですが ※私のところは月に何度か通わないと単位取れない そういった"大きな経験"を積み重ねて自担の存在に支えてもらいつつ(彼氏か?)なんとか卒業が見えるところまできました。

そして、まだ先の話だろうな…と思っていたアルバイトも始めることができました。

 

 

小学校から現在まで人並みの生活も、青春も、学生ならではの思い出も何も出来なかったし

(そもそも"人並み"とか"普通"とは?)(哲学)

精一杯生きてるのに未来も見えないし、あまり大声で言いたくないですが もう人生ここまででいいや…って  何度も思いました。何のために生きてるのか、こんな思いしてまで生きる必要ってあるのか…って何度も考えました。(激重)

 

でもその度に

「今週は自担の○○があるからそれまでは生きよう」

「次の新曲までは頑張ろう」

って言い聞かせてなんだかんだここまできました。

 

数えきれない程の曲や歌詞、自担が与えてくださった言葉にも支えられたし

また、通信制の学校に通っていることを堂々とできませんでしたが(訳アリなイメージ持たれがち)、とあるメンバーの想像もつかないくらい多忙な生活の中、私の倍近くの時間をかけて通信制の学校を卒業した。という話を聞いて

「もう隠すのはやめよう!」と思えたり…。

他にも沢山あるのですが、キリがないのでこれくらいにしておきます。いつか書けたらいいなあ。

 

そしてこれを書いている今現在、また人並みの生活ができない状態になってしまいました。(なんで〜〜)

学校もアルバイトも今は全部お休みをいただいて時間ができたので気持ちの整理をしつつ、今回この文章を書いてみましたが、順風満帆な最中だったので、すごくもどかしいし、悔しいです。

 

ですが、これまでの経験と心の底、もはや細胞、遺伝子から「好き!!!」と思える自担の存在があるので何とかなる気がしています。今までもそうだったし😌

 

 

結局

「自担(推し)の存在ってものすごいパワーがあるよ!」 とか

 

「自担のお陰で枯れずに今生きられてるよ!」

みたいな自担の存在の凄さや魅力を伝えたかったのですが、思い付いたままの自分語りでまとまりのない重めの文章になってしまいました。すみません。

ですが、ずっと書きたかったことを実現できたので良かったです。

 

そしてこれからも、直接伝わらなくていいので自担への感謝の気持ちを忘れずに応援させていただきたいです。

 

 

 

最後にここまで読んでくださり、ありがとうございました!

みなさんも素敵なオタクライフをお過ごしください!❤︎